震災の日に思う事がありました。
記録より、記憶だと!!
私の実家は茨城県の日立市です、
津波で近隣の日立港が侵され、車が燃えている、ヘリコプター映像を見たのを最後に情報がとれなくなりました。
電話は繋がらず夕方になっても、実家、友達とは連絡が取れず、業を煮やして、実家に向かってバイクでむかいまいした。
東京は交通機能がマヒ状態で、都心はありとあらゆる道が渋滞してました。
茨城に入り、道はうねりと亀裂が驚く状態、橋は落ち、車のライトだけが闇夜をてらし、停電で信号機も街路灯も消えて町が漆黒の闇状態
遠くの空でサーチライトが空を照らしていて、それが東海原子力発電所の物とわかるまでにはかなりの距離を走らなければなりませんでした。
国道は津波の為、通行止めになっていました。
子供の頃、よく遊んだ港には、大量の瓦礫が流れ込み道路が消えていまいした。その瓦礫の中を自衛隊が捜索を行っていました。
海岸線の崖は、いたるところで土砂崩れをおこして、風景が一変してました。
実家の眼前の家の壁が崩落して、コンクート片が道を塞いでいて、家の中はいたるところに亀裂が入り、壁が何か所も落ちていました。屋根の瓦も落ちて実家は半壊しました。
あれから、4年がたって実家も修繕も終わり、落ち着きを取り戻してはいるものの、未だにそこかしこに爪痕が残っています。
この記憶は一生忘れないとおもいます。