岩﨑です。
お休みの日にふらっと近くに行ってきました。
さてここはどこでしょう?
そう、三宝寺池と石神井池の間です。
ここから少し下り、左方石神井池からピーターパン・・池の傍にあるパン屋さんへ向かいます。
そこのソーセージベーグルが美味しいんですよ。
他のお客さんはぶどうパンを購入していましたが、食指が動かないので目的のものを購入後、撤収。
その帰り道、次の写真を撮りました・・これが考えさせる一枚になろうとは。
この中には様々な緑があります。
濃淡もあれば光や陰により変わって見える緑もです。
単色ではない、複数の、ある意味複雑なものの集まりでもありますが、このような感じを好みます。
僕は良いと思うのですが、違う意見もあるでしょう。
それは、実は違うように見えているからではないだろうか?と。
輪郭に関しては触れたりその形状を模倣することで証明できますが、色の話です。
~逆転クオリア~
逆転スペクトルとも言うそうです。
クオリアとは・・
客観的には観察できない意識の主観的な性質。
感覚的、主観的経験に基づく独特の質感。
・・良くわかりませんね・・感覚質と訳され、「~な感じ」という言い方がわかりやすいかも。
「同じ赤に相当する周波数の光を受け取っているのに、同じ質感を経験しているのだろうか?実は全く違う質感を経験しているのではないのか?」という事で、「自分が何かを見ている際に見えている色は、他者がそうしている時の色と、実は体系的に全く異なっているのではないのか?」という方がわかりやすいかもしれません。
逆転という形から、2色間での説明として。
例えば、A君とB君がいます。
2人共リンゴが赤、キュウリは緑に見えている。
でも実はB君の赤はA君にとっての緑であり、B君にとっての緑はA君にとっての赤であるかもしれない。
赤 緑
A= リンゴ キュウリ
B= リンゴ キュウリ
それぞれにとっての色が本人の中で統一されている以上、色盲テストや信号も大丈夫なわけです。
その場合、光やそれに伴う陰によって見えているものの感じが違うわけですから、感想や質感にも個人差が出てきます。
簡単な例として、絵で山は緑、湖は青だとします。
そこへ光による濃淡や輝きというものを表現する時、山が青、湖が緑に見えていたとしたらまた違った色使いになるのではないでしょうか。
敢えて変わった感じに仕上げようとしているのではないのであれば、独特の色使いや、同じものを見ても違う雰囲気を出している作品等がそれに当てはまっているのではないのか?(経験や感受性という括りを除いたとして)
しかしそれは緑と青という、自分が見えている経験に基づいての客観的な捉え方が出来ていないものだったりして・・等々考えたりしたのが高校生の時でした。
当時逆転クオリアというものだとは知りませんでしたし、友人達にも理解されませんでした。
それをたまたま石神井池の辺りで思い出したんですね。
撮った後にぼんやりと佇む僕の姿は、奇異に映ったかもしれません。
あまりいないとは思いますが、疑問や思考でこんな経験した事ありませんか?
あの・・寂しいからお仲間を探しているわけではありませんよ?